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スマラン 中部ジャワ州の州都スマランは、ジャワ島北岸に位置する人口130万人を越えるインドネシアの五大都市のひとつで、中部ジャワの政治経済の中心地である。 ボロブドゥールからは車で約2時間、一山越えて行く港町で、とにかく暑い。オランダ領時代や東インド会社の古い建築物も見られ、港町ならでの異国情緒を感じる。 中国明時代の武将、鄭和の大艦隊が1405年にスマランを訪れて以来、華僑の町として栄え、今でも住民の40%ほどが中国系である。ジョグジャやマゲランなど他の町にも中国系住民は多いが、中国人を迫害する傾向の強かったインドネシアでは(スハルト政権中は中国文字の書物や看板は禁止されていた。*現在は撤廃)中国文字の看板は街中であまり見られない。しかしここスマランでは結構いたるところに漢字の看板などが見られ、まるで中国系の国に行ったような不思議な気分にさせられる。 |
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| 鄭和 中国明時代の永楽帝はイスラム教徒である鄭和を総督とし南海遠征の大艦隊を派遣した。鄭和(ていわ1371年-1434年)は、初名は三保で、宦官の最高位である太監であったことから、中国では三保太監あるいは三宝太監の通称で知られる。大覚寺や三保洞では三保大人という名で祀られている。 マゼランやヴァスコ・ダ・ガマをしのぐ約200隻の大艦隊は東南アジア、インド、アラビア半島、アフリカにまで航海し、寄港地には記念碑や中国寺院などが残されている。 歴史上では人類で初めて世界一周の航海をしたのは1522年、マゼランのスペイン艦隊だったということになっているが、最近マゼランより100年も早く鄭和の艦隊が世界一周していたという調査結果を発表した学者がいて論争を巻き起こした。また、鄭和よりも以前にアラブの商人がすでに世界一周していたという説もある。いずれにしても、鄭和の船はヨーロッパのものよりもはるかに多く大きく、乗員もコロンブスが100人以下だったのに比べ、鄭和は5万人も率いており、桁違いの規模だったと言える。 この時代の中国は航海の知恵にも長けており、ヴァスコ・ダ・ガマをはじめとするヨーロッパの大航海者たちが苦しんだ壊血病も、鄭和は船に50センチの盛土をし、野菜を植えてビタミンCを補給して対策していたということである。 この鄭和が病気の乗員の静養のためにスマランに立ち寄った。その後鄭和は航海を続けたが、乗員の一部が現地女性と結婚してこの地に残り、鄭和の意志と信仰の地を守ったとされる。静養していた洞窟が、今の三保洞(鄭和寺院、Gedung batu)であり、鄭和が祀られている。また、ここで紹介する大覚寺(Tay Kak Sie)にも鄭和が祀られていた。 |
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| カヲル「僕は古いものは全般に好きだが、中国の寺や建築物に特に興味があるわけではない。歴史は、学生時代ちゃんと勉強しときゃよかったと悔やんでいるが、まぁネットもあるし必要な時だけ調べりゃいいか、と思う程度なのだ。 もともとセマランにはいい印象がなかったので、シードフォークスの増築工事がなかったら来てなかったかも。内装用の器具や材料はセマランの方が安いと友人に教えてもらい、彼の案内でやって来ました。買い物は予想より重労働だった。タイルや便器、蛇口や蝶番…エトセトラ、決めなくてはならないものが多すぎる。おまけに、サイズやストックのチェック、値段の交渉、伝票や配達の手配など、面倒な事だらけで暑さも手伝い、僕は言うまでもなく、工具や建材見るのが好きな雲山さんもぐったりしていた。 だから、普通だったら中国の寺参りなんてやめてたと思う。だけど、吸い寄せられるようにあそこの路地へ入って行っちゃったよね。 ジョグジャでもボロブドゥールでも、中国の寺には、前は通っても、中へは一度も入ったことがなかった。原色の組み合わせや、賑やかな装飾を施した空間を「祈りの場」とするセンスに異質なものを感じてたし…。それが、あのくそ(失礼)暑いセマランで、ふらっと立ち寄った黄昏の「大覚寺」にとても郷愁を覚えてしまった。懐かしい、というだけじゃなく、自分の周囲の空間がこじんまり落ち着いて見えて、安心感でいっぱいのあの感じだ。この「あの」はどの?ってことだが、この状態でいた時に「もう知っていた、例のあの」みたいな感覚…ってことなんだが、言葉で説明するのはむずかしいすな。誰にでもありますよね、こういうデジャヴ?」 |
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雲山「僕はもともと中国寺院が好きで、ムンティランやマゲランにはたまに見に行ってた。かつて海外を旅してまわっていたときも、必ずこの手の場所には立ち寄っていた。あの極彩色、キッチュな彫り物がとても好きだ。スマランにこんな有名な寺院があるとは知らず、今回初めて見に行ったわけだがもうすっかりはまってしまって、数日後にまた二人で来てしまった。 疲れて暑かったせいもあるが、この中に入ったとたんくらくらになってしまった。左の写真は位牌のようなもので、家系図のような機能も備えているらしいが、この辺を見ていたら頭がズーンと重くなりクラッときて吐きそうになった。ふー、やれやれ。数年前だったらやばかったな。 僕もカヲルさんと同じようにとてつもない懐かしさ、物悲しさに襲われていた。慣れ親しんだ、見知った感じ。自分が誰なのかわからなくなる感じ。早く出たいような、ずっといたいような。」 |
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| 本堂正面。ここのご本尊は観世音菩薩だそうだ。 派手なお供え物が並んでいる。 |
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| 三保大人、つまりこれが鄭和。鄭和と仲間たち、ってところか。とても大航海を7回も成し遂げた勇者には見えない。 イスラム教徒にも見えない。ろうそくや線香が常につけてあるので普段から中国人がいまだに手厚く祀っているのだろう。彼は優秀な外交官だったのか、はたまた尊敬される宗教者だったのか。 |
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| 中庭には数々の神様のためのブースが並び、聖人が個々に祀られていたが、中でもこの玄天上帝はちょっと異質で気になる感じだった。よく見ているとここの前で祈る人が多い。祈りのパワーが染み付いて特殊なエネルギーを生み出しているのか。ちなみにこの玄天上帝、中国道教において北方を守護する神とのこと。各神様のことを調べてみたら面白いだろうと思う。 | |||||||||||||||||||||||||||
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| おみくじがあった。竹でできている。問事とか薬とか書いてあるので、聞きたいことによってどれかを引くんだろう。お寺の人に引かせてもらうよう頼んだら、お祈りをしてからでないとだめだそうだ。日本のように金だけ払って気軽にもらえるものではないらしい。 | |||||||||||||||||||||||||||
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| 人が神に祈るという歴史が息づき、今もなお変わらず人は祈る。古い建造物の中では、ここだけ時が止まっているのではないかという錯覚を起こさせる。神の神聖さと人間の祈りのパワーが渦巻く異空間、大覚寺、行って損はない。 | |||||||||||||||||||||||||||
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