地震当日 | 2、3日目 | 4、5日目 | 1週間後

2006年5月27日朝5時54分頃、インドネシアのジャワ島中部に位置するジョグジャカルタ近傍で
マグニチュード(M)6.3の地震が発生しました。
震源は市から南南西へ約30km、深さ約35kmと推定されています。
地震の犠牲者は時間を追うごとに増え続け、震源に近い地域周辺では大半の家屋が倒壊しています。
ボロブドゥールの方は震源地から遠かったため被害はほとんどなく、死者や怪我人も出ていません。

被災された方々には心よりお見舞い申し上げます。

地震当時、カヲルさんはジョグジャでもろに被災、
ボロブドゥールにいたゆりえさんは直後にジョグジャでボランティア活動を開始、
村ではぼあきらさんが支援物資を集め、
トニーは海外からの報道者に同行、
ドリーは独自の救済活動を計画するなど、
それぞれが違った形でこの地震を体験しました。
そんなみんなからの情報、画像を、各々の声と共に雲山がここにまとめました。


初日は、カヲルさんがいたジョグジャ市内南部、Bantul隣接区の状況をお知らせします。
すぐ近くの学生用下宿長屋。手前が崩れているけど中は半分そっくりそのまま残っている。本棚にまだ本が残っていたり、壁に洋服がかかったままになっていて、倒壊が突然起こったことがリアルに見て取れる。ここの学生たちはまだ寝ていたため、全員が負傷し病院に運ばれたが、幸い重症ではなかった。起床前の人に特に深刻な被害が多かったようです。
地震発生当時
 
カヲル - 低血圧だから起きたばかりでベッドでうだうだしてた。
ゆりえ - 朝のお祈りが終わって、着替えて大学へ行く準備。
雲山 - シードフォークスの台所で大豆を洗っていた。
ぼあきら - トイレで朝のお勤め中。
トニー - 叔母さんの農園の豪華なベッドにて熟睡中。
ドリー - 踊り手として何があっても欠かしたことのない朝のストレッチ中。

カヲル「とにかく、低い地響きから突然、激しい縦揺れがきて、外へ転がり出るのが精一杯。どちらかと言うと揺れよりも、大地が裂けるようなあの音が恐ろしかった。けっこう今でも窓ガラスのビリビリいう音や遠い雷のゴロゴロは、あの時を思い出してこわい、ちょっとしたトラウマになってるね。」

ゆりえ「うちのお父さんが、地震があったら壁から離れてーって言ってたからそれでいっしょけんめい部屋の真ん中に立ってたの。そしたら雲山さんが早く出て!って呼んだから前にいきました。」

雲山「台所で大豆を洗っていたらガガッと揺れがきて、大きい地震か小さい地震ですぐ終わるか様子を見ているうちにどんどん揺れが大きくなったから外へ逃げた。外へ出てもまだ揺れていたから結構長かったと思う。」

ぼあきら「ま、地震の間ずっとしゃがんでふんばってたよ。揺れてたけど、下半身には自信あり、なんつって・・・」

アントニオ「昨日夜遅くまで友達の飲んで騒いじゃって次の日は遅くまで寝てたから、地震なんて気がつかなかったなー。」

ドリー「小さい子がいるからあせったわよ。でも、まぁ私自身はいざとなったら身軽だからね、だてに毎朝早起きしてストレッチやってないわよ。」

こんなところに歩道が?と思いきや、道路側に倒れた塀であった。
売り出し中の店舗兼住宅。3階部分がめちゃくちゃ。これじゃもう売れないだろう。気の毒。
カヲル「今回の体験にはとても運命を感じてます。
普段は、直前に予定変更したりしない自分が、なぜかあの時だけは雲山さんとの約束やめてまでジョグジャへ来ました。今から思えばって事ですが、なんだか「ジョグジャへ行きたい、行かねば、行こう」みたいな気持ちだったんですよ、いや、ホントに…。

もちろん、M6.3の地震は28年間かけて築いた価値観をごっそり変えるすごい経験でしたが、それと同じ位に自分のメンタリティーを大きく揺さぶったのは「ツナミ」という一言で起きた集団パニック騒動でした。必死の形相で人々が一方向(北)へ向かって走っている、車やバイクが全速力で通り過ぎて行く。

車を持ってる人は年寄りと子供を頼む、とせかされ逃げる一団にいつの間にか僕も加わってました。自らが安全で平穏な状態でだったら、もう少し脳みそを使うゆとりがあったかもしれない。けれど、家屋は倒壊し、すぐそばで死傷者もでて、余震も続いていたあの時点では、みんな頭よりも感覚の方が勝っていたのだ。一人の恐怖という波動があっと言う間に何百、何千人の人たちへ伝播したんだと思う。実に怖かった、逃げろって一体どこへ?
北へ行けって、メラピは噴火してるじゃないか?なるべく高い所へって、そこまで津波が来たらそれこそ一巻の終わりじゃないか?ラジオ全然聞こえてなかったし。。。

結局、ゆりえちゃんのお父さんの家から300メートルも行かない地点(大渋滞まったく進まなかった)で、デマらしいという事がわかって戻ってきたんですけどね。この次はどう対処したらいいか、よーくわかったよ、とりあえず、明日からはデマには惑わされない静謐で強い五感を養うぞ。」
地震直後、約10時頃に村を見回る村長さん(右)と奥さん。真ん中の人は村長さんじゃありません。裏に住んでいる人が亡くなったけど、略式の葬儀を済ませ、すぐにお墓に埋めるのに墓穴を掘る人がいないので借り出された人のようです。
近所の子供が捕まえてきた珍しいトカゲのような生き物。わきの下に水かきのような羽のようなものがある。こんな災害にあった直後でも、子供たちは純粋な興味を失わない。
カヲル「住宅の壁が完全に壊れました・・・近くを人が歩いてなくてよかった・・・なんだかまだ頭がくらくらするなあ。」
屋外で避難中、崩れた建物の生垣にあった名前も知らない花。金木犀みたいないい香りがしました。
瓦礫の山をよそになまずを釣る人たち。これが地震当日だって言うのがすごいよね。今夜のおかずにするそうです。たくさん釣れたので、その場でさばいて僕にもくれました。ごちそうさま。
余震等で建物崩壊の恐れがあるので、みんな家の中に入れません。日のあるうちに雨よけのシートとゴザで庭に仮設の避難場所を作りました。近所の人たちとインスタントラーメンで遅いお昼ご飯。 僕がいたゆりえさんのお父さんの家は、2階部分が1階の屋根に崩れ落ちてとても危険な状態になっています。危ないので半壊の部分は完全に取り壊すように言われていますが、人手が集まらないので仕方なくこのままになっています。
雲山「地震があったときは、ついにメラピ山が爆発したかと思った。地震直後はテレビがまったく映らず
携帯電話も繋がらなかったので何が起こったのかわからなかった。
その後2時間ほど経ってようやくテレビが1局だけ映り、どうやらジョグジャ沖で地震があったと知ることになった。カヲルさんがジョグジャに行っていたので心配で電話をしたけど通じず、10時頃やっと
連絡がつき無事を確認したのもつかの間、状況がよくわからないまま再び音信不通になってしまった。
テレビのニュースで、パラントゥリティス通りがマラソン大会のように
走る人でいっぱいになっているのを見て驚いた。津波を恐れて逃げている人たちだった。
とにかく、ニュースで最新の映像が流れるたびに驚きの連続で、当日はテレビに釘付けでした。
ジョグジャとボロブドゥールはこんなに近いのに、現地の状況がニュースを通じてしかわからなかった。」


2、3日目に続く



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